
五輪塔は塔婆の一形式で、密教の世界において創始されたものといわれております。下から方形・球形・半球形・団型の五部を積み上げて、宇宙の原素である地・水・火・風・空の五大をあらわしています。県内では鎌倉中期以降に多く造られるようになったと考えられます。国分の五重塔は国分寺・尼寺に近いことから聖武天皇・光明皇后・行基菩薩を祀ったという伝説があります。
天平の丘公園内に3基並んでいますが、1基は断片となっています。所在地が紫の地名から紫式部の墓の伝説になったと言われています。現在3基並んでいるうちの2基は姿川の河畔にあったものを洪水で流されないように現在の場所に移したとも伝えられています。
古くから小金井宿の鎮守として信仰されてきた神社です。江戸時代に書かれた『日光山道中図絵』では「北辰宮」と記されています。本殿は一間社三方入母屋造りという建築様式を伝え壁面全体には壮麗な彫刻が施されています。この彫刻は天保期から嘉永期(1830〜1850年代)にかけて製作されたと推定されています。作者は富田宿(現在の大平町)を本拠地とする磯部氏系統の彫刻師とも考えられています。
東山道とは、奈良・平安時代に都から陸奥国をつなぐ幹線道路でした。当時、下野国(栃木県)は、東山道に属していました。現在県内では、推定東山道跡と考えられる遺跡が10数箇所で確認されています。北台遺跡は、平成6年度に区画整理事業に伴う発掘調査により発見されました。平成13年度には東山道跡を復元した久保公園として整備がなされ、憩いの場になっています。
室町時代の下野は、鎌倉時代からの名族小山氏をはじめ、宇都宮氏、那須氏、長沼氏等が割拠していました。箕輪城の正確な築城年代、城主等は資料がないため不明ですが、位置が藤井城と薬師寺城を結ぶ線状にあり、小山氏の出城として、小山高朝によって築かれたと言われています。