栃木県市町村職員共済組合

現在の位置:Home > Voyageとちぎ県 > 国分寺町Web限定版前半[235号]
Voyageとちぎ県
国分寺町Web限定版前半[235号]
下野国分寺跡 下野国分寺跡は、奈良時代の天平13年(741年)、聖武天皇の詔によって全国60数カ所に建てられた国立寺院の一つです。伽藍(寺の建物)配置は、全国の総国分寺である東大寺と同じ形式(東大寺式)で、南北一直線上に南から、南大門、中門、金堂、講堂が並び、中門と金堂は回廊によってつながれています。塔は回廊の外側東方に置かれ、基壇の規模から七重塔であったと推定されています。
下野国分尼寺跡 下野国分寺跡は、下野国分寺跡の東方約600メートルにあり、同じく聖武天皇の詔によって建てられた国立の寺院です。伽藍(寺の建物)配置も、国分寺と同様に東大寺式ですが、塔は造られていません。昭和39年度から43年度にかけての発掘調査によって、建物の規模が判明し、史跡公園として整備されました。
小金井一里塚 小金井一里塚は、江戸時代の五街道の一つである日光街道沿いに造られ、江戸(東京)日本橋から22里(約90km)の地点にあります。平成9年度の発掘調査では、旧日光街道の砂利敷道路とその側溝が発見され、紐に通された寛永通宝(50枚)や陶磁器(茶碗など)の破片が見つかりました。現在は国道4号線のすぐ西側に、2つの塚が史跡ポケット広場として整備されています。
丸塚古墳 丸塚古墳は、直径約74m(墳丘の大きさ58.5m)、高さ7.2mで二壇に造られた円墳です。墳丘の南側に造られた横穴式石室は、側壁・奥壁・天井石とも凝灰岩の巨大な一枚岩により構成されています。また、入り口は一枚岩の中央を刳り抜く「くり抜き玄門」と呼ばれる技法を用いてつくられています。埴輪が無いことなどから7世紀前半頃に造られた古墳と考えられます。
愛宕塚古墳 二段築成の大型の前方後円墳で、前方部を西南西に向けています。周辺の古墳と同様に墳丘の第一段目に幅広い平坦面(基壇)をもっており、推定全長70m、後円部直径46m、前方部幅50m、墳丘の高さ約5mです。昭和3年に社殿を改築した際に須恵器の器台や脚付き壺の一部が出土しています。出土した遺物から6世紀末に造られたと考えられています。